ゼーレが黙っちゃいないってさ。兄やんです。
今日は読書の話。
夏期休暇を活用しての読書籠り、迎えてみればエヴァンゲリオンやらドラクエ9やらの不可抗力により読了ペースが遅い。それでも何冊か読み終えたのでレビューを綴ろう。その一発目が村上春樹のエッセイ。

『意味がなければスイングはない』(2005年 文藝春秋)
これ「音楽評論」ではなく「ある作家が好きなものを放題に綴ったエッセイ」と位置づけたほうがよさそうです。まあ評論ではなくエッセイなのだから自明のことなのだけど。
「音楽を語る」というのは大きく作品自体=音を評論する切り口と、そのミュージシャンのルーツ=人格やバックグラウンドを紐解くという切り口で二分化されるものだと思うのだが、氏はバランスよく両側面から、計10の音楽家について持論を展開している。
まず、文献を丁寧に咀嚼し構成していく氏の要領の良さは相変わらずなのだと脱帽する。さらに、村上春樹のウリでもある、簡明かつ独創的な筆致は、ジャズを知らない僕でさえ、その世界に惹き込む力がある。僕は紹介されるミュージシャンのほとんどは知らない。が、この著の最大の称賛は、60年代カウンター・カルチャーの中で感性を育み、神がかり的なセンスと教養でその感性に肉付けを施した、村上春樹という人物が描く、熱い持論10編そのものにある。本当に音楽が好きなのだな、この人。
勿論、読み手がジャズに傾倒していれば本著の楽しみ方も変わってくるだろうが、無理に予習など必要ないです(というか音楽は娯楽物なので、「予習」という概念など、そのものがないだろう)。これはひとつの随筆としてすんなりと読め、抵抗なくひざを打って本著を閉じられます。加えて、音を奏でる人の背景そして人格に辿り着くことは「音楽」を嗜むもうひとつの要素なんだろうと、あらためて考えさせられました。いい本を読んだな。
今回読了した村上春樹もそうだが、加藤亮太や久保憲司など、音楽畑に居を構えない人物が手がける音楽エッセイはやっぱり好きだなあ。こういうエッセイをもっと読んでみたい。